よりにもよって、ぶつかった相手は石川の兵士だった。憎まれ口の一つでも叩いてやろうと思って睨み付けた先には、ちょうど父親と同じくらいの年頃の男の、少し困ったような顔があった。それから気が付いた。兵士は石川語ではなく、流暢な魚沼語でマティルダに話しかけていることに。だが、今のマティルダには時間が無かった。衝突のタイムロスで、背後から迫ってくる笛の音と足音とが確実に近付きつつあったのだ。立ち上がろうとして、視界がぐるりと回転して再び突っ伏す。衝突の衝撃で、彼女は脳震盪を起こしてしまっていたのだった。それでも這っていこうとするマティルダと、背後から迫る音との間で何事かを考えていた男は、マティルダの身体を軽々と担ぎ上げた。彼の視線の先には、近辺の家庭のゴミを入れておく金属製の大きなダストボックスが置かれていた。素早く中を確認し、既に中身が空っぽになっていることを確認して、マティルダをその中へと押し込める。「少し大人しくしてるんだよ」と言い残して、兵士は蓋を閉めると再び先ほどの小路の出口へと小走りに近寄っていく。ちょうどそこに、マティルダの追っ手たちがいよいよ到達しようとしていた。重い軍靴の音が通りに飛び出して来ようとした次の瞬間、幾人かの驚く声と悲鳴、そして地面に何かが転がる派手な音とが響き渡った。少々生臭い箱の中で、マティルダは思わず両手で耳をふさいだ。

「アタタタ……って、何事ですか!?危ないじゃないですか、こんな大勢で出てきたら」
「馬鹿者!!おい貴様、今ここから小娘が出てこなかったか?あのガキは重罪人だ!!」
「ああ、猫みたいに敏捷なのなら、そっちのダウンタウンの道に走って行きましたよ。何しろとんでもない勢いでね、あやうくこっちが吹き飛ばされそうになりましてね」
「説明はいい!!もし見つけたら、すぐに取り押さえるんだ!あのガキのせいで、広報官殿が傷を負われたのだ。全く、魚沼のガキめらにはろくなのがいない!!」
「ははぁ、それはまた災難で」
「おい、行くぞ!!!」

ドカドカドカ、という重い足音は、すぐ傍に置かれたダストボックスではなく、ダウンタウンへと続く小道へと消えていく。ちなみに、あの道は地元の人間でないとそうそう簡単には出口の見つからない迷路状の小道であり、あの男たちがこれからたどるであろう事態を思い浮かべてマティルダは人の悪い笑みを浮かべた。と、箱の蓋が開かれ、太陽の光がいっぱいにさしこんできた。眩しくて目を瞑った彼女の身体が、再び軽々と持ち上げられ、そしてそっと地上に着地する。先程の兵士が腕組みをしながら、困ったような表情を浮かべていた。

「やれやれ、とんだ重罪人を助けてしまったなぁ」
「フン、天使とダンスでもしていればいいのさ」
「いい啖呵だったよ。君の一撃で少しは真人間に戻ったろうさ」

兵士はそう言いながら、耳にはめたイヤホンを軽く叩いて笑った。どうやら、先ほどの一部始終をラジオで聞いていたということらしい。追手の男たちとはどうやら違うらしい、と納得したマティルダは、少しだけ兵士に対する警戒レベルを引き下げた。もちろん、何かあったら先程同様の攻撃を加える準備を整えながら。もっとも、男はマティルダに危害を加えるつもりは毛ほども無いらしい。ゴミ箱の中に放り込まれはしたが。

「さて……そんなに時間は無いな。今のうちに逃げた方がいい。連中に見つからずに済む道のアテくらいはあるんだろう?」
「勿論だけど……いいの、重罪人逃がして?」
「嫌われ者の広報官をぶちのめした英雄にお咎めなし……って奴だ。ほら、早く行きな」

石川の兵士にも話せる大人はいたらしい。彼の言うとおり、ダウンタウンの袋小路に迷い込んでいるとはいえ、さらに怒り狂った男たちが戻ってくる前に逃げるが得策だった。命の恩人と言っても良い兵士に興味が湧いてきたところではあったが、この街に石川が留まっている限りはいずれ例を言う機会もあるだろう。少しうしろ髪を引かれる気分ではあったけれど、ダウンタウン方面とは反対のルートへマティルダは走り出した。でも、少しだけ走ったところで彼女は立ち止まり、先程の兵士に向かって大声を出した。

「サンクス、おじさん!天使とダンスでもどう?」
「ハードなキック無しならいつでもどうぞ」

満面の笑みで応える兵士にこちらも何度か手を振って、今度こそ「ねぐら」へ戻るべくマティルダは全速力で走り出した。