「盛り上がってるところ悪いんですがね、少しは手伝って下さいよ。台所だって立派な戦場なんですからね!!」
「お、コック長。悪いがナンとカレー、お替わりを頼む」
「台所では私が先任です。隊長もご自分でどうぞ」
「やれやれ、都落ちしてからロクなことない……」

この寒いのに額に汗を浮かべたノストラの姿にバツが悪くなったパステルナークは、バスケットとボウルとを持って、コンテナの外にある台所に向かう。ドアの外は予想通り真冬の風吹き抜ける草原。冷たい風とが相まって、余計に寒い。吐く息が白く煙り、風に乗って流されていく。調理キットの上に乗せられた鍋は全体が湯気に覆われているようで、周囲には香辛料の効いた匂いが漂っている。メニューの数が少ない点については新南魚沼市民とあまり環境は変わらないのだろうが、こうやって暖かい空間と暖かい食事を満喫出来る分、今のパステルナークたちは恵まれているのだろう。

だが、新南魚沼の窮状を伝えている記者たちは知るまい。その状況ですら、天国のように感じられるような地獄を。それは、陽気な彼であっても笑って済ませることの出来ない、心の傷跡だった。崩れ落ちた建物。道端に石ころのように打ち捨てられた亡骸。砂と灰とにまみれて、灰色一色に染め上げられた故郷の無残な姿。わずかな食料を求め、隣人同士が殺し合う極限の状態。その状況にさらに輪をかけるように始まった内戦。さっさと復興に見切りを付けて亡命していった高官たちの一部は、魚沼でのうのうと新生活を謳歌し始めた。彼らが苦しみ脅えるのは自業自得だろうが、祖国の大義とやらが魚沼の人々に同じ苦しみを与えるつもりだというなら、一体軍人として戦う意義がどこにあるというのか――適うものなら、ヴォイチェク隊長と語り合いたいものだ、とパステルナークは思った。

適当な量のナンとカレーを盛ったパステルナークは、コンテナの脇に積まれた木箱の上に腰を下ろし、隣の箱の上にボウルを置いた。時折コンテナの中からはどっと笑い声が聞こえてくる。その様子を眺めながら、彼は胸元から古びた小さなペンダントを取り出した。それまでの陽気な顔から、笑みが消えていた。そっと開かれた蓋の中には、端が焦げた一枚の写真と、白い紐で縛られた赤い髪とがあった。無言でペンダントの外縁を指でなぞり、開いた時と同じように蓋を閉じた男の口元に、寂しげな微笑が浮かんだ。

「お守りの効果だけは未だに健在ってのはなぁ……。カレーもいいが、お前のボルシチが食べたいもんだ」

夜空を見上げながら呟いたパステルナークの声は、草原を吹きぬける風の音にかき消され、耳にした者は一人もいなかった。氷点近くまで下がった気温と、強い風のおかげか、今日は瞬く星たちの姿が良く見える。こんな夜空から、あんな物騒なものが降ってくるなんて、普通は誰も考えないに違いない。だがそれは起きた。だから、パステルナークは夜空を見上げることがあまり好きではない。心の奥底の古傷が疼き出すような感触を覚えるから。空から地上に視線を戻した彼の目は、冷たい風に吹かれながらも凛と立つ鋼鉄の翼の群れを捉えている。今や1機だけとなったCFA-44を囲むように、血の色をまとったSu-33たちが翼を休めている。

そういえば、「天使の落書き」のダチだという、魚沼のもう一人の凄腕は今頃どうしているだろう?サン・ロマにいたという話を最後に、その後の消息は知れない。ただ、そんな凄腕を落としたという話も聞こえてこない。なら簡単だ。奴は死んでいない。いつの日か、再び魚沼本土にその姿を現すに違いない。奴なら、強敵を求めて止まないこの心の渇きを潤してくれることだろう。

「た、隊長、隊長っ、隊長ぉぉぉぉぉ!!」
「どうしたコック長。冷たくされたから折角いじけていたというのに」
「冗談言ってる場合じゃないですよ!!とにかく通信室まで来て下さい。食堂も大騒ぎです。ケセド島の我が軍が、魚沼の残党軍にしてやられました!!」
「ほぉぉ。やるじゃないか」
「大敗した残存部隊はバルトロメオ要塞に立て篭もったらしいですが、魚沼軍はどうやら予想よりも遥かに強大な戦力をケセドに集結させていたようです。西部方面軍の再編成が始まるらしいですよ」

どうやら、予想は当たったらしい。サン・ロマから撤退していった魚沼軍部隊の多くは、最終的にケセド島へと逃れていったと聞いている。もし、例の凄腕がその中にいたのであれば、ケセドでの戦いに参加しているに違いない。俄かに慌しくなってきた前線基地の雰囲気が、心地良い。――面白くなってきやがった。先程までの寂しげな笑みはすっかりと姿を消し、今やパステルナークは貫禄たっぷりの精悍な微笑を浮かべるのだった。