夜の帳が下りた魚沼の空気は、さすがに寒い。暖房を効かしたコンテナの中とはいえ、窓からの冷気が室内気温を押し下げていくのだ。夕食時を迎えた部下たちが一斉に集まると、食堂兼会議室のコンテナの中は手狭。ついでに言うなれば、むさ苦しい。別の基準を設けて、もう少し女性パイロットを優遇しておけば良かった――パステルナークは、冗談抜きでそんなことを思い浮かべていた。ノイズ混じりの画面に映し出されているあの女性アナウンサーみたいな綺麗どころが二人いたら全然違うだろうに。もっとも、余計な問題が発生することは必至であり、それはそれで彼の頭痛を増やしていたに違いない。ま、仕方ないわな、と呟いて、パステルナークは目前に置かれたバスケットからナンを取り出し、少々刺激的な色で満たされたボウルに突っ込んだ。ちなみに今日は、ナンタラ豆のカレーらしい。

「いっそノストラを新南魚沼市に派遣して、レストランを開かせるってのはどうだろ?」
「いいアイデアだが、魚沼本来の料理文化が廃れちまうんじゃないか?カレーに侵略された、と言われて襲撃されるのがオチだろ」
「それ以前に、うちの名コックが抜けたら毎日缶詰だぜ」

一同、げっ、という表情を浮かべて沈黙する。石川軍でも勿論軍用レーションの一式は整備されているし、祖国で生産された缶詰は定期便として部隊に配属されている。だが、それが兵士たちの味覚を満足させているかと言えばそうではない。栄養重視、味は度外視と完璧に整理された軍用食だけでは、気が滅入るばかり。そんなわけで、ヴァンピール隊のように料理が得意な兵士がいる部隊は、あるいみ大当たりと言えるだろう。ちなみにパステルナークは部隊費の一部を使用して、堂々と必要経費としてスパイス代を請求している。それで部隊の士気ほ高く保てるのであれば、安い出費である。

OBCの電波を辛うじて拾ったテレビ画面では、新南魚沼市に残っている記者の現地レポートが続けられている。市内ではOBCの番組を見ることなど物理的に出来ないだろうが、余計な妨害のかかっていない辺境戦区であれば話は別である。隊によっては厳罰ものらしいが、どうせプロパガンダのスパイスがごってり効いた広報部の報道など嘘っぱちと相場は決まっている。だったら、痛烈な批判を浴びせられることを覚悟した上で「真実」を知っているべきだろう――そう考えて、パステルナークは自ら率先してこの部分だけは軍規を破っている。新南魚沼だけでなく、石川占領下の都市全体の問題を提起する記者の声が聞こえてくる。全く、俺たちは寄生虫そのものだな、と自嘲気味にパステルナークは床を見下ろした。そこに置かれた電気ストーブは、軍部からのありがたい配給であるとして、実は魚沼の市民たちの家から強制的に奪い取ってきたものの一つであった。

「そういや隊長、さっきの広報部のすかした野郎の面白い話聞いてます?」
「あの顔見れば良く分かる。あの野郎、きっと自分自身が変態野郎で、市民たちを夜な夜な苦しめているんだろうさ」
「私もそう思いますが、きっとこの話を聞くとスカッとすると思いますよ。少し前ですがね、あの野郎、一撃食らわせられたうえに最高の啖呵切られて、何日か寝込んだらしいですよ。何でも、とってもいい声の可愛い子ちゃんに「天使とダンスしてな!」ってね」
「天使とダンスって……あー、あれか!へぇぇぇ」

アニキ 表立ってその話が出来る部隊はきっと少ないだろうが、ラジオの電波に乗って伝わったその少女の啖呵と、一撃喰らった広報部の人間の情けない悲鳴とは、末端の兵士たちの笑い種となっていた。パステルナークにとっては残念なことにオンエア中に聞くことが出来なかったのだが、後から聞いて胸の空く思いがしたのは事実である。なるほど、その時蹴倒されたのがあれね。上にゴマすって人を蹴落とすことしか考えられないくせに、情報を扱うことだけは長けているという、要は軍人として使い道の無い男がひっくり返ってのたうちまわっている姿を思い浮かべて、パステルナークは非常に愉快な気分になった。

「じゃ、子猫ちゃんに傷心状態からようやく立ち直って、あの演説をぶったというわけだ。いやはや、我が祖国の重大発表をするのがあんなのじゃ、大将たちも大変だ。あれじゃあ、「ボクちゃん嘘言ってます。でもお金くれないとヤバイことしちゃいます。だから金寄こせ」って言ってるようなもんだ」
「奴はもともと正規軍で行き場が無くて広報部に回されたクチだそうですよ。んで、リエース派にくっ付いて、その後色んなネタ抱えてうちに転がり込んだんだとか」
「うちの大将もあんなの押し付けられちまって良い迷惑だろうに。新南魚沼市民が聞いてないのが奴の幸運だな。もし聞いていたら、俺なら今度はとても恥ずかしい目に遭わせてやる」
「裸に剥いて柱に縛り付けるとか?」
「いいや、赤パンツだけ着けさせて縛り上げて、"ご自由に蹴飛ばして下さい"と腹に書いてやるのさ。下向きの矢印も書いてな。市民たちの厄払いも出来るし、新南魚沼市内が少しだけ平和になって、一石二鳥」

コンテナの中に、笑い声と拍手喝采とが響き渡る。OBCのアナウンサーたちも、まさか当の石川軍人がこれだけ盛り上がっているとは思うまい。クエスタニアの一件で都落ちを強いられた部隊の面々にしてみれば、裏でコソコソやらかしている味方こそ憎たらしくて仕方ないのである。機体整備士の中にもクエスタニアと一緒に送り込まれてきた奴がいるが、例の一件以後は随分と従順になったものである。奴の辿った末路を目の当たりにして、どうやら心を入れ替えたらしい。クエスタニアと違って腕も人格も良いので、パステルナークは見て見ぬ振りをしている。