彼らの狙いを知って、レノーアは呆れて物も言えなくなり、目を伏せて首を振った。地下。確かに、新南魚沼市の地下には、食料が存在する。かつて、大震災に備えて作られた大規模なシェルターに保管された備蓄食料の山が。だがそれらの本来の使用目的は、緊急災害時であって、経済政策の誤りを是正されるために使用されるようなものではない。今がその緊急時だと言えなくもないが、冗談抜きで兵隊総出で畑と田んぼに出動しない限り、いずれはその食料とて尽きるに違いあるまい。だが、最大の食料庫の開放はエストバキア軍の実力を以ってしても難しいかもしれない。新南魚沼市の大シェルターの中枢部は南魚沼王城地下にあり、ここの開放には旧皇族の許可が必要なのだ。詳しくは市民たちにも明かされていないが、噂では皇族しか持たないマスターキーがあるのだとか。そして、当の旧皇族は未だ国外に足止めされていて、当然のことながら連中の依頼を是とはしないだろう。

ドアががらん、と開き、少し長めのコートを羽織った老人が入ってきた。杖を突いている割にはしっかりとした足取りでカウンターに近づき、そして「いつもの席」に腰かけ、隣の空き席にコートを置く。老人の顔にも、レノーアの顔にも苦笑が浮かんでいた。グラスを一つ取りだしたレノーアは、冷蔵庫から取り出した細長い瓶を取り出し、グラスの中に注いでいく。目の前に差し出されたグラスを「ありがとさん」と受け取った老人は、スタウトをぐいっと呷った。

「空きっ腹に効く。何しろ食料が尽きてるからの。効果てきめんというやつだな」
「元気そうで何よりだよ。減らず口が叩けるうちは耄碌しなさそうだしね」
「そりゃそうさ。どこぞの軍隊のおかげで、なかなか経験出来ない日々が過ごせるからの。これを楽しまない手は無い」

ちらりとカウンターに座る男を一瞥し、老人は再びグラスを傾けた。先程よりも少なめに。一方の男の方はと言うと、これまた苦笑を浮かべながらフランスパンに噛り付いている。レノーアはカウンターの下にしゃがみ込み、一見カウンターの裏側にしか見えない一角の小さなハンドルを回した。ぽっかりとその一角が開き、中から4段ほどに仕切られた棚が姿を現す。棚の中は、缶詰やらレーションやらでぎっしりと詰まっている。その中からコンビーフ缶をレノーアは取り出した。

「今日はどうするんだい?」
「可能ならさっと炒めてくれ。青い菜っ葉と」
「あいよ。ポテトチップは添える?」
「ツケ上乗せで良いから多めに入れてもらえると良いな」

冷蔵庫の中から野菜を取り出しつつ、コンロの上のフライパンに火を入れる。困窮状態を乗り越える目的での自家栽培まで、彼らは禁止はしていなかったし、むしろこういった自助努力に対して行われる犯罪行為――即ち無断で野菜を盗む行為に関しては、身内に極めて厳しい措置が取られていた。ただ、罰則が徹底していたの彼らのみであり、残念ながら市民間での略奪まではカバーしていない。さすがにこのダウンタウンの住民たちの間ではそんな事は起こっていなかったが、時折やってくる部外者は必ずしもそうではない。露見していない者は運が良いだけであり、現場を押さえられた者たちは、じっくりとこの街での掟を叩き込まれることになる。

「ママ、俺がコンビーフ食べられるようになるのにあと何回必要?」
「そうさねぇ……魚沼全土からあんたらが撤退したら、いくらでも作ってやるよ」
「冗談抜きで南魚沼市の市民権が欲しくなった」
「おあいにく様。ウチの店じゃ、魚沼国籍取らないと純粋な常連にはなれないのさ」
「まあまあレノーア。そうはいっても、こやつは良くやってくれとるよ。のぅ、お前さん?」
「さて……何のことやら」

老人と男とは含み笑いを浮かべながら、互いのグラスを軽く打ち合わせた。キン、という澄んだ音が店の中に広がる。


「お裾分けじゃ。少しつまむといい。味は保障するぞ。何しろ、エメリア大シェルターの保管食料だからな」
「こいつはありがたい……って、保管食料!?」
「蛇の道は蛇ってね。占領下の市民を舐めてもらっちゃ困る。ま、緊急避難として「金色の王」も笑って許してくれるさね」
「はてさて、連中が何人辿り着けるか楽しみだ。お前さんも、間違っても同行しないことじゃよ」
「おお怖ぇ。今日話を聞いておいて良かったよ」
「とはいえ、地下に手が入ると闇市場の価格がまた上がっちまうねぇ。冬だってのに、厄介なことだよ」
「……そうなんだよな。市内の子供たちの健康状態と生活環境は深刻な問題だと思う。何とかしてやりたいんだが、正直なところ出来ることが限られちまってね」

男の脳裏には、「天使とダンスしてな!」の少女のはつらつとした姿が思い浮かんでいた。祖国による侵攻が無ければ、今頃はクリスマスや新年のパーティを楽しみにして浮かれてしまい、授業の中身がそっちのけになる子供たちが続出する季節だ。それをぶち壊した祖国のやり方に、男は全く納得していない。本気で市民たちを、子供たちを救うつもりがあるならば、市場経済を知らない軍人たちでも出来ることは山ほどあるというのに、上層部の頭にはその発想がどうやら存在しないらしい。それでも東部軍閥系の将官はまだましなようだが、どうも「何か」あったらしく、最近は東部派閥に吸収されていった派閥の人間の発言ばかりが目立つ。これがまた、ろくなことを言わないのだ。結果として、男たちのような末端組織に属する人間たちと、上層部の間には亀裂が深まるばかりなのであった。

今まで見せたことの無いような真面目な顔つきになって黙り込んだ男の姿に、レノーアと老人は思わず顔を見合わせた。これまでも、話が街の子供たちに及ぶと笑い顔が引きつることはあったが、ここまで真剣な表情になったのは初めてかもしれない。多少アルコールの影響も入っているかもしれないが。腕を組んでしばらく貧乏揺すりを続けていた男であったが、どうやら何か思い付いたらしい。元の表情に戻って、カウンターに身を乗り出して口を開いた。

「ママ、駄目もとで話すけど、こんなことは出来ないかい?必要なものはちゃんと揃えるからさ」